サンバイノー(お元気ですか) モンゴルの大草原で最も広範囲に渡り、最も長い歴史を持つ楽器、モンゴル民族を代表する楽器、それが馬頭琴だ。モンゴル語では馬頭琴をモリン・ホールと呼ぶが、簡単にホール、あるいはチョール、イキリと言う地域もある。馬頭琴には3通りの調弦法、4通りの演奏法が伝わっている。 馬頭琴には2千年以上の歴史がある。紀元前、モンゴル草原の東部で活躍した民族「東胡」にも馬頭琴の祖先と呼ばれる楽器が伝わっていたと言われる。この楽器は中国語では「奚琴」と呼ばれた。時代が下り、南宋時代の文人の文章、「金史」などにも「奚琴」についての記載を見ることができる。宋代の詩人、欧陽修の詩詞の中には「奚人の音楽で使われるのが奚琴だ。奚人の捕虜がこの楽器を演奏するとき、両目からは涙が流れ落ちる」という一節がある。この楽器は楽器の胴が玉杓子の形をしていることからモンゴル語では「シャナギン・ホール(玉杓子の楽器)」と呼ぶ。現在でも、内モンゴルやモンゴル国の一部この楽器が残っている。「元朝秘史」、「アルタン・トプチ(黄金の略史)」、「元史」、「清史」などにはすべてホールやチョールの記載がある。これらはすべて馬頭琴と同じ系統の楽器に関するものである。 古くから現在に至るまで、馬頭琴にはさまざまな名称や形状があった。しかし、それらには2つの共通点がある。まず、弦の数と形状。弦は2本。それぞれの弦は数十本程度の馬の尻尾の毛で作られる。そして、楽器を演奏する弓は2本の弦から独立していることである。これはヨーロッパの楽器などではあたり前のことである。しかし、中国で伝われる胡琴(日本では胡弓とよんでいる)では弓が2本の弦の間にはさまれている。この一点は馬頭琴と胡琴の大きな違いだ。 歴史的な要因により、馬頭琴は幾たびとなく絶滅の危機に瀕した。現在、馬頭琴が隆盛をきわめているのは、20世紀になってから偉大な馬頭琴演奏家、スラシ先生が我が師、サンドロン先生を養成したことによるだろう。サンドロン先生は1953年に馬頭琴の改良に着手。先生が逝去した後は、私が馬頭琴の改良を引き継いだ。我々は馬頭琴の基本的な特長を尊重した上で、共鳴胴に張られていた皮を獣皮からヘビ皮、さらに桐の板から白松の板へと改良した。このことにより、音域を広げ、音量を増強することに成功、楽器の表現力は格段に豊かになった。また、弓の技巧を中心に新しい演奏法を研究、従来はなかった細かなパッセージの演奏を可能とした。1986年、初めての馬頭琴アンサンブル「イ工マ」が結成されてからは、馬頭琴は独奏、伴奏以外にも二重奏、四重奏、五重奏、合奏などさまざまな演奏形態への道を歩み始めている。 独自の民族的な味わいを持つ馬頭琴という楽器を世界の陣列に加わらせること、それが私の生涯の目標である。馬頭琴のより深い、より高い発展を祈って。 パイルゥラー(ありがとう)! |